さる6月5日~7日、金沢百万石まつりが開催されました。
加賀百万石の祖・前田利家公を偲ぶ催しで、毎年6月に行われます。目玉の「百万石行列」では、毎年有名芸能人が前田利家公とその正室・お松の方に扮して金沢の町を練り歩きます。
今年は大河ドラマ『豊臣兄弟!』で前田利家を演じている大東駿介さんと、同じくお松の方を演じている菅井友香さんが金沢に来てくださいました。大東さんの雄々しい姿、菅井さんの楚々とした様子に、沿道からは歓声が絶えませんでした。なんとドラマ内の衣装、さらには騎乗する馬までも一緒に出演ということもあり、いま、金沢市民のあいだでは『豊臣兄弟!』熱が再燃しているのです。
ということで、今回は堺屋太一『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』をご紹介します。
史料には繰り返し登場しながらもあまり大きく語られることのない豊臣秀長。同時代の人物も歴史家も彼を彼を高く評価している中、自著はおろか、この人を主題とした書物すらも存在しません。
作中では、秀吉が大きな戦いに臨み飛躍する裏で、必ず秀長がそれ以上の苦労を背負い、成功や栄達に導いています。それは物資・軍資金の調達から武将間の調整、秀吉不在時の領土の防御など多岐にわたり、秀長は副将でも参謀でもない「補佐役」と自らを規定し死ぬまでそれに徹していくのです。
物語は柴田勝家との賤ヶ岳の戦いの趨勢が決まるまでが描かれますが、晩年、秀長は病を得ながらも円満に家督を譲り、畳の上で生涯を閉じます。秀長の死後、秀吉は華美に傾倒し、猜疑心と残虐性を発露させていくことになります。調整と調和に腐心し、兄・秀吉の箍ともなっていた秀長。彼こそが秀吉を天下人たらしめていたというのが過言ではないと感じさせてくれる巨編。大河ドラマのおともにいかがでしょうか。