『論語』

 それは。世界的にも著名な、中国古代より伝わる書物である。

 そして、この不朽の書物とともに語り継がれる名前が、

『孔子』

で、ある。その名もまた、神聖な響きを伴い、世界に知られている。


 では、本名の「孔丘」としてはどうであろうか? 

 あまりにも、「孔子」の名前が偉大である故に、それほど認知されていないのではないだろうか?

 本書の著者・宮城谷昌光氏もまた、その名に苦しめられたと語っている。「孔子」を書こうとしたとき、それがあまりにも神格化されすぎていて、物語になり得なかったからだという。

 だが、一人の人物「孔丘」として彼の一代を見つめたとき、そこに現れてきたのは、子として、親として、為政者として、教育者として・・我々と同じ「人間」として、悩み苦しみ考え、その人生を歩んできた姿である。


 ・・古代の理想国家「周王朝」がその権威を失い、「春秋」と呼ばれる諸侯分裂の時代、「魯」の国で孔丘はその生を享けた。

 「魯」は、当代すでに「聖人」として称えられていた「周公旦」の封建された国であり、孔丘もまた故国の偉人を心から尊敬していた。

 ところが、孔丘の時代、「魯」は強国とは呼べない国であり、国内も貴族たちによる権力闘争の渦中にあった。

 その中にあって、孔丘は、己の理想とするところを実現するべく奮闘するが、立ち行かない現実と向かい合って苦悩し、為政者としては挫折することになる。

 そんな孔丘が晩年に入り、本格的に教育者としての道を歩みだしたとき、後世に伝わる「孔子」の名は、不朽のものとなった。


 歴史小説の大家によって描き出される、「聖人・孔子」ではない、「人間・孔丘」としての、人生の歩み・・。

 その書名にさえ、著者の強い想念が込められた、特筆すべき"一代記"・・。


 それが、『孔丘』なのである。

『孔丘』
宮城谷 昌光
文藝春秋
2,200円(税込)